AtelierO

弟と、山の近くにアトリエを作ろうと話していました。

山の近くではありませんが、素晴らしい場所を紹介してもらいました。



屋号はAtelierO(あとりえ お)です。由来はまたどこかで。



作り手はわたしで、抽象画、粘土、モビール、イラストなど、暮らしが楽しくなるものをこつこつ作っています。



昨年10月に亡くなった弟は、作家ではありません。

私よりも感性が高く、信頼できるアドバイザーで、親友であり、私が私である為に、なくてはならない存在でした。



ずっと2人のアトリエを作ろうと話していました。そして、AtelierO(あとりえ お)ができました。



弟がいなくなるとわかってからは、色々な心の準備をしました。耐えきれないからです。

まず、死生観の本を読みました。
つぎに、身近にいる、見えないものが見える方に助けてもらいました。


 いろんな方法を経てわかったことですが、私と弟は元々1つの魂だったそうです。


価値観、感性などといった魂の質が似ており、「あなたはわたし」という関係性で、

生まれ変わりながら、恋人・夫婦・親子・兄弟・親友などの関係を、何度も繰り返してきたそうです。


すごく幸せだと思いました。そして毎日、苦しいですね。言葉は悪いですが、死んでしまいたいと思う時もあります。


 愛する人を亡くすと言うのは、そのくらいの苦しみなんだと知りました。
それでも、外に出れば笑顔が作れる。
みんな、こうして生きている。どんなに辛い事があっても。震災に遭った方々もきっと。地上にいる限り、進んで行かなければならないんですよね。


 弟の死をきっかけに、私の死生観は大きく変わりました。
一部、文章を引用していますが、「あなたにとって、幸せってなんですか?」と聞くと、
多くの人は、みんなが健康でいることが幸せ、家族と仲良くできるのが幸せ、失いたくないなど、絶対に不可能なことを言う。

それは当たり前だと思います。


でも、こういうことは全部、物質的価値観で、永遠に生きることはできないし、必ず誰か病気にもなるし、本当の幸せとは、何も恐れることがないことなんだそうです。

少し、理解できました。



今まで、私の死生観は浅はかで、
早くして亡くなる人のことを可哀想とか、不幸な事だと思ってきたけれど、
早く世を去る人は、霊的レベルが高く、既に、過去多くの事を学んでいて、それ以上この世では学ぶ必要がないという共通点があるそうです。


人生が短く見えても、課題を消化できたから亡くなるだけの事で、亡くなるために病気などを選ぶそうです。


そして亡くなっても、「脳と心臓がないだけ」。意識(魂や気ともいう)は変わりなく存在している。

3次元で生きてる私達同様、日々記憶を上書きしているので、厳密には死んでないそうです。


永遠に続く生命活動の中で、地上にいる時間の長短に大した意味はなく、

目的を果たすことに意味があるのだそう。


悲しい話になってすみませんが、

これから作る作品は全て、弟と共作になりますので、良いものをたくさん作りたいと思います。